ただの人間の日記

twitterから逃げてきました。

戾つてきたきつかけ

眠れない夜、ふと冷靜になり、自分自身を振返つてみた。

twitterに初めて觸れた日のこと。他者の思考が勝手に流れてくる感覺が気持ち惡くて、馴染めなかった。しかし、徐々に慣れ、數年が經過し、いつしかtwitterばかり見るようになつてゐた。

そんな、情報に翻弄されてゐるだけの自分が嫌になつた。twitterに馴染むことで、確實に知的には退化してしまつたと思ふ。先づ、長文が讀めなくなつた。じつくり落着いて本を讀むことも無くなつてしまつてゐた。深く考へることも無くなつた。これはいけない。

twitter、氣持ち惡い」といふ感覺こそ、本來私が持つてゐた感覺の筈である。確かに情報の流れは速いし、刺激は強い。でも、すぐに流れて行つてしまふ。どんな思ひの籠つた言葉も、適當な輕口も、同列である。一人一人に重きが置かれない。人間が人間として扱はれない感じ。長文を書けないから、複雜な氣持ちを表現することが出來ない。思考が單純化され、極端な意見が支持されやすい。見たいものしか出なくなるので、エコーチェンバー効果も起きやすい。色々と弊害の大きいシステムだと思ふ。

これからまた、リハビリをしつつ、ボチボチとweb日記を始めて行かうと思ふ。正字正假名も久しぶりだ。ATOK(2013)の文語モードは一往まだ充分に使へる。(環境設定は開かないけど。)